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浦和地方裁判所 平成3年(ワ)1380号 判決 1996年2月21日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

大久保和明

高木太郎

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右訴訟代理人弁護士

山崎宏征

右指定代理人

佐野友幸

外五名

被告

乙野守

右訴訟代理人弁護士

川井重男

主文

一  被告国は、原告に対し、金二八六四万八五六五円及びこれに対する昭和六四年一月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告国に対するその余の請求及び被告乙野守に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告国との間においては、原告及び被告国に生じた費用のそれぞれ三分の一を被告国の負担とし、その余は原告の負担とし、原告と被告乙野守との間においては、全部原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金九〇五一万八七〇五円及びこれに対する昭和六四年一月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 原告は、昭和六三年一〇月二六日、浦和家庭裁判所において、同裁判所裁判官により、試験観察の決定を受け、補導委託先として千葉県印旛郡八街町所在の八街友の会を指定され、同日から同所において、試験観察を受けていたものである。

被告乙野守(以下「被告乙野」という。)は、八街友の会の責任者として、関東各地の家庭裁判所から委託を受け、試験観察中の少年らを預かり、その指導、監督を行っていたものである。

(二)(1) 八街友の会は、昭和三九年、被告乙野により設立され、昭和六四年一月初旬当時、千葉家庭裁判所、浦和家庭裁判所等八家庭裁判所から試験観察に付された少年の補導委託を受けていた。

(2) 指導の内容は、少年の性格、行動の観察等の外、施設外の援助協力者である業者のところに少年らを就労させること等であった。

八街友の会の業務従事者(以下「職員」という。)は、被告乙野、妻花子、長男太、山田真及び丙川芳子(以下「丙川」という。)であり、被告乙野は心理学的観察を、太は作業を、元家庭裁判所調査官である山田は観察報告書の作成をそれぞれ担当し、花子及びお手伝いである丙川は少年らの日常的な世話をする係として活動していた。

(3) 八街友の会の施設の構造は、別紙図面のとおりであり、少年らは、右図面中、赤線で囲った部分(以下「少年部屋」という。)及び青線で囲った部分(以下「九人部屋」という。)で起居していた。

2  本件暴行事件

(一) 八街友の会では、昭和六四年一月初旬当時、少年部屋に原告を含む一一名の少年が、九人部屋に七名の少年が起居していたが、同月七日午後四時ころ、少年部屋の便所の戸の蝶番を修理するため、お手伝いの丙川が少年部屋にいた少年らを九人部屋に移動させたため、日頃から折り合いの悪かった原告と九人部屋の少年らが同部屋となった。丙川は、少年らを誘導しただけで、九人部屋の入口に鍵をかけると、監視もせず、その場を離れた。

(二) 少年らは、九人部屋でしばらくテレビを見ていたが、そのうち、原告が被告乙野に密告したことが話題となり、少年らが原告に文句をつけ、小突くなどし始め、さらに、九人部屋のAが激昂して原告に殴りかかると、その場にいたU、K、I、Wらも一緒になって原告にベルトの金具で乱打し、ベッドから飛び蹴りし、あるいは、頸動脈を締めるなどの集団的暴行を開始した。原告は、右のような暴行を受けて、午後四時半ころには、ほとんど失神した状態になった。

(三) 八街友の会の職員は、別室にいて、この暴行を知っていたか不明であるが、特に止めに入ることはなかった。やがて、丙川が少年部屋の少年らを呼びに来たが、原告がふらふらして転ぶ状態であったのを見ながら、暴行等がなされたことに疑いを抱かず、他の職員も通常人としての判断力に欠ける丙川にその処置を委ねたままであった。少年らは、失神状態にある原告を少年部屋に戻し、夕食時には、原告は風邪で寝ているなどと言い訳をしていた。

(四) 原告は、少年部屋に帰って同部屋で就寝していたところ、午後八時半ころになって、同部屋のHに呼び出され、第一回目の暴行時、Aにやられた際にやり返さなかったことなどについて詰問され、これに返答しなかったことをきっかけとして、I、W、Hらにより再度三〇分から一時間にわたって暴行を加えられた。

(五) 原告は、右二回の暴行により意識を喪失したが、少年らが直ちに右事実を被告乙野らに知らせなかったため、そのまま放置され、翌朝に至ってようやく救急車で病院に運ばれたものの、後記の傷害を負うに至った。

なお、原告に暴行を加えた少年らは、右暴行・傷害事件(以下特にことわらない限り、右二回の暴行事件を併せて「本件暴行事件」という。)により千葉地方検察庁に送検された。

3  被告乙野の責任原因

(一) 被告乙野の注意義務

被告乙野は、八街友の会の責任者として、家庭裁判所からの依頼を受け、試験観察中の少年らを預り、日常生活を含め、生活全般の指導、監督を委ねられていたのであるから、少年ら間における暴行・傷害事件等の発生を未然に防止し、もって、委託を受けた少年の生命身体の安全について万全を期すべき一般的な注意義務が存在する。

しかるに、被告乙野は、次のとおり右注意義務を怠り本件暴行事件を発生させた。

(二) 八街友の会の実態

(1) 八街友の会の職員のうち、少年らの世話を実際に行っていたのは、お手伝いの丙川のみであり、被告乙野は毎日といっていいほど将棋をしたりして、少年らと顔を合わせたり話をしたりすることも滅多にない状態であった。

(2) そして、八街友の会では、少年らを部屋に入れると外から鍵をかけ、たまに見回りに来る程度しか監視をしていなかったため、消灯後、少年らの間でリンチ等が行われることが度々あった。

少年らに対する監視が行き届いていなかったため、少年らの生活は乱れ、隠れてたばこを吸ったり、喧嘩をするなどの状況が放置され、少年らの間には入会の前後によって上下関係が存在し、新入者のほとんどが消灯後に集団でリンチを受けるなど、少年らの間の暴行が日常的に存在していた。

しかし、少年らは、暴行を受けたことを被告乙野らに伝えると、「ちくり」としてまた暴行を受ける口実となるため、被告乙野らに訴えることはあまりなかった。

(3) 右のとおり、被告乙野は、被害を受けた少年自らの申告ではなしに、被告乙野自ら暴行事件を発見し、これを未然に防ぐという努力をしていなかった。さらに、少年らが、暴行を受けたことを訴えても、これにすら十分な対応をしないでいた。

(4) 以上のように被告乙野は、右いじめ、暴行の少なくとも一部についてはこれを把握していたが、丙川のみが実質的に少年らに接するという管理体制を何ら改めようとせず、また、少年らの実態を正しく把握せず、リンチ、暴行等が日常的に行われていたにもかかわらず、その実態を把握せず、何らこれを改善する具体的な措置を取らなかった過失により本件暴行事件を生ぜしめた。

(三) 本件暴行事件発生当日における被告乙野の注意義務違反

(1) 八街友の会で生活していた少年らは、少年部屋と九人部屋に分かれて起居していたが、従来から折り合いが良くなく、特に原告は、九人部屋の少年らとの折り合いが悪かった。被告乙野は、右事情を熟知していたのであるから、少年部屋の少年と九人部屋の少年とを一緒にすることなく、あるいは一緒の場所に置かざるをえないときには、これに監視者をつけるなどして、少年らが喧嘩などを起こさないように十分監督すべき注意義務があった。

しかるに被告乙野は、右注意義務を怠り、少年部屋の便所の戸の蝶番を修理するに際し、少年部屋の少年らを九人部屋の少年らと一緒にし、しかも、監視のための人員を配置しなかった過失により、本件暴行事件を生ぜしめた。

(2) 第一回目の暴行は、昭和六四年一月七日午後四時ころから約三〇分間、第二回目の暴行は、午後八時三〇分ころから三〇分ないし一時間、集団によって行われており、被告乙野は、この間見回り等によって暴行を早期に発見し本件暴行事件の発生を未然に防止すべきであった。

(3) 第一回目の暴行後、少年らを呼びに行った丙川が、原告が倒れこむのを見ており、また、原告は、夕食を食べに来たときも元気がなく青ざめた顔をしていた。したがって、被告乙野は、丙川を通じ、あるいは、自ら原告の様子を見て、第一回目の暴行の事実を知り、第二回目の暴行を未然に防止すべき注意義務を有していたのにこれを怠り漫然放置した。

4  被告国の責任原因

(一) 調査官・裁判官の過失

(1) 補導委託先の選定に関する過失

① 調査官について

原告の補導委託先決定に関する調査を担当した家庭裁判所調査官は、八街友の会が、非行進度の異なる多数の少年を併せて受け入れている施設であり、前記のように不十分な管理体制しか取っておらず、その結果として少年らの間に上下関係が存するとともに、少年らの日常生活が乱れており、日常的に暴行事件等が発生するような状態にあったこと、原告が、他の少年らとの折り合いをつけることが不得手であったことなどから、本件暴行事件の発生を予見し、これを回避するため他の適切な補導委託先を探すなどの処置をとるべきであったのにこれを怠った過失が存する。

② 裁判官について

原告の補導委託先を決定した家庭裁判所裁判官は、担当調査官に補導委託先に関する調査を充分行わしめ、八街友の会が、非行進度の異なる多数の少年を併せて受け入れている施設であり、管理体制が前記のように極めて不十分であること、その結果として少年らの日常生活が乱れ、暴行事件なども頻発していたことを把握したうえで、八街友の会に送られた原告が、他の少年らとの折り合いをつけることが不得手であったことなどから、本件暴行事件の発生を予見し、これを回避するため他の適切な補導委託先を選定すべきであったのにこれを怠り、八街友の会を補導委託先と決定した過失が存する。

(2) 補導委託先の指導監督に関する過失

① 調査官について

原告の試験観察中、原告の観察を担当した調査官は、補導委託先の管理体制、既に収容されている少年らの非行性向、原告の性格及び他の収容者と原告との人間関係等を充分把握し、八街友の会の状況及び原告の試験観察中の生活に注意し、八街友の会が非行進度の異なる多数の少年を併せて受け入れている施設であり、同会においては、少年らの間にいざこざやいじめが日常茶飯事として生じており、これを少年らが八街友の会側に通報した場合でもこれに対する有効な対処がなされず、しかも、かかる状態が改善される見通しもないこと、八街友の会に送られた原告が、他の少年らとの折り合いをつけることも不得手であったことなどから、本件暴行事件の発生を予見し、これを回避するため、裁判官に対して、試験観察の変更などの措置を取るよう報告し、また、補導委託先に対して管理運営上の適切な指導を行うことにより、本件暴行事件の発生を未然に防止すべき注意義務があったのにこれを怠った過失がある。

② 裁判官について

原告の担当裁判官は、担当調査官に八街友の会の状況および原告の試験観察中の生活を十分調査させて、それを報告させ、八街友の会の管理体制が前記のように不十分であること、その結果として少年らの日常生活が乱れ、暴行事件なども頻発していたこと、さらに原告が一部の少年らとうまくいっていなかったことなどを把握したうえで、本件暴行事件の発生を予見し、これを回避するため、試験観察の変更などの措置を取り、また、補導委託先に対して管理運営上の適切な指導を行うことにより、本件暴行事件の発生を未然に防止すべき注意義務があったのにこれを怠った過失が存する。

(二) 被告乙野の過失と国の責任

仮に(二)の担当調査官・担当裁判官の過失に基づく被告国の責任が認められない場合、次のとおり被告国には被告乙野の過失に基づく責任がある。

(1) 被告乙野は、家庭裁判所の決定をもって試験観察に付され、これに付随する処分として補導委託を受けた少年について、家庭裁判所から委託を受け、終局処分の留保によって少年に対し心理的強制を与えつつ、指導、援護を行うという補導委託の目的を達成するため、委託を受けた少年に対して、その生活を規律する権限を有していたのであり、右権限に基づき原告を含む委託された少年らの作業等の日課を定め、原告を他の数名の少年らと同室で寝起きさせ、生活させるなど、原告の生活全般を管理していた。原告は、右のような心理的強制を含む、有形、無形の強制により、定められた期間補導委託先である被告乙野の下を自由に離脱することができない状況にあり、被告乙野の補導に従わされる立場にあったのであるから、権力によって、危険回避の自由が奪われているという関係にあり、浦和家庭裁判所の委託に基づく被告乙野の原告に対する補導行為は、国家統治権に基づく優越的な意志の発動たる作用、すなわち、公権力の行使にあたる。

(2) そして、被告乙野は、浦和家庭裁判所から試験観察の一環として行われる補導を委託され、右契約によって公権力の行使の権限を与えられた者として、国家賠償法一条一項にいう「公務員」に該当する。

5  損害

(一) 原告は、前記二回にわたる暴行により、頭部外傷、脳挫傷、頭部硬膜下血腫の傷害を受け、平成元年一月八日に成田赤十字病院に入院し、同日、急性硬膜下血腫の除去手術を受けたが、その後意識障害が継続し、同年二月八日と同年五月三一日にも手術を受け、さらに、同年六月一七日に耳鼻科に転科して入院加療を受けたうえ同年八月一二日に退院した。

右退院後、同年一〇月二七日まで同病院に通院し、その後は、自宅近くの済生会川口総合病院整形外科に転院して、平成二年八月三一日まで通院し、内服治療及びリハビリ治療を受けた。

原告は、平成二年一月三一日付で症状固定となったが、左上肢及び左右両下肢の著しい機能障害並びに右上肢の軽い機能障害が残存し、一〇〇メートル歩くのがやっとという状態であり、右障害により身体障害者三級の認定を受けている。

(二) 本件暴行事件により原告が被った損害は次のとおりである。

(1) 治療費等 六七万四六五六円

① 治療費

原告は、平成元年一一月二四日、同年一二月一四日及び平成二年二月二二日、成田赤十字病院で、平成元年一一月一〇日から平成二年八月三一日まで延べ一八七日間、済生会川口総合病院で、それぞれ治療を受け、治療費として合計一八万八八三〇円を要した。

② 原告は、リハビリシューズ及びT字杖代金として一万〇六〇〇円を要した。

③ 通院交通費

右済生会川口総合病院への通院は、往復ともタクシーによらなければならず(片道一二〇〇円ないし一三〇〇円程度)、そのタクシー代として少なくとも三四万四四三〇円を負担した。

④ その余の費用 一三万〇七九六円

(2) 将来の介護費用 一六一一万〇九六〇円

原告は、前記後遺障害により終生介護を要する身体となった。

介護費用 年額六〇万円(月額五万円)

介護を必要とする期間 58.4年

(一八歳男子の平均余命)

右期間の新ホフマン係数 26.8516

よって、将来の介護費用は、右記のとおりである。

(3) 後遺症逸失利益 四八六四万八八八〇円

年収 一九九万二五〇〇円

原告は、本件受傷当時無職であったから、原告の逸失利益の算定に当たっては、症状が固定した平成二年度の一八歳男子の産業計全労働者賃金センサスにより算出する。

就労可能年数 四九年

原告は、昭和四六年生まれの健康な男子で、症状固定時一八歳一〇か月であり、本件暴行事件に遇わなければ六七歳まで就労可能であった。

新ホフマン係数 24.416

よって、原告の逸失利益は右記のとおりである。

(4) 慰謝料 二七七三万円

① 入・通院慰謝料 二七三万円

入院期間を7.5カ月、通院期間を5.5カ月として算定した。

② 後遺症慰謝料 二五〇〇万円

本件は補導委託先での暴行・傷害事件であり、補導委託先の管理責任上見逃すことのできない重大な過失に基づく事故であるという点から、交通事故の後遺障害一級の場合の訴訟基準を上回ると考えるべきである。

(5) 弁護士費用 五九二万一七八四円

(6) 右(1)ないし(5)の損害額の合計は九九〇八万六二八〇円になる。

6  よって、原告は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償の内金として、各自九〇五一万八七〇五円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六四年一月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告国)

1 請求原因1(一)の事実は認める。

同(二)(1)の事実は認める。(2)(3)の各事実は知らない。

2 同2(一)ないし(四)の各事実のうち、原告が二回にわたって他の少年らから暴行を受けたことは認める。

同(五)の事実のうち、原告に暴行を加えた少年らが少年事件として千葉地方検察庁に送検されたことは認め、その余は知らない。

3(一) 同3(一)の事実は争う。

同(二)(三)の各事実は不知ないし争う。

(二)(1) 身柄付補導委託決定を受け、受託者のもとに居住して補導を受けることになった少年は、試験観察中の行状により最終処分が決定される等の意味から、指定された場所に居住して受託者の指導を受けるべきことを心理的(間接的)に強制されるとはいえ、身柄の拘束を受けるものではないし、受託者の少年に対する補導も物理的強制力を伴わないこと、少年の身柄を預かる受託者は、矯正教育の専門家ではなく、民間の篤志家で、「少年の健全な育成を期する」少年法の理念に共鳴し、家庭裁判所に協力を申し出たボランティアであることなどから、受託者の少年に対する補導は、少年に対し積極的に働きかけ、その性格の改善を図る矯正教育を施すことを目的とするものではなく、少年に対し、できるかぎり更生し易い環境を与え、少年の再非行を誘発するような要因を除去することを内容とするものであり、具体的には、受託者は、少年に対し、適当な衣食住を提供しながら、委託先の環境整備に努めるとともに、少年に非行を誘発するような生活の乱れが生じないよう、適切な生活指導(職業訓練を含む。)を行えば足りるのであって、受託者は、少年の再非行を防止するべき法的義務まで負っているものではない。

したがって、受託者の少年に対する監督義務は、少年に対し、非行を誘発するような生活の乱れが生じないよう指導助言すること及び受託者の右指導助言にもかかわらず、少年の行状が改まらず、再非行のおそれが高まったとき又は進んで現実に再非行に陥ったときは、少年がさらに非行を重ねないよう、直ちに家庭裁判所、警察等に連絡し、適切な措置が講じられるよう促すことに尽きるというべきであり、受託者が、右のような内容の義務を怠り、非行に結びつくような少年の生活の乱れを助長するような行為をしたり、これを知りつつ、黙認していた場合に初めて、受託者の監督義務違反が問われることになる。

ところで、補導委託の適正かつ効果的な運用を図るために、昭和五七年七月に、各家庭裁判所で補導委託先の適格性の基準を定め、補導委託先の登録制度等を実施することとなり、適格性が認められて補導委託先として登録された受託者に対しては、その適格性が常に維持されるよう、各家庭裁判所の首席調査官を通じて、環境整備や受託者の基本的な心構えなどに関する一般的な指導が行われている。

被告乙野は、千葉、浦和、横浜等の各家庭裁判所から適格性を具えた補導委託先として認められ、登録されているものであって、被告乙野につき、前記のような、受託者としての法的な監督義務違反があったものとは到底考えられない。

(2) 万一、被告乙野につき、法的な監督義務違反があったとしても、本件で、原告に対し暴行を加え傷害を与えた少年らは、いずれも一五歳から一九歳の責任能力を有する少年らであるから、加害少年らの故意による暴行傷害と、被告乙野の監督義務違反との間に相当因果関係を認めることはできないというべきである。

4(一) 同4のうち、各事実は否認し、その主張は争う。

(二)(1) 家庭裁判所調査官は、その職務を行うについては、裁判官の命令に従うものとされ(裁判所法六一条の二第四項)、調査官の調査結果は、裁判官の処遇決定の参考資料として取り込まれるのであり、処遇決定に最終的責任を負うのは裁判官であるから、調査官の調査のあり方自体が独立して国家賠償責任の帰責事由として取り上げられることはありえない。

また、家庭裁判所調査官は、補導委託決定後、どの様な方法、頻度で少年の行状を観察するか、受託者との連絡調整をどの様に行うか等についても、裁判官の指示を受けて行うのであるから、補導委託中の調査官の執務のあり方が、独立して国家賠償責任の帰責事由として取り上げられることもない。

仮に家庭裁判所調査官が裁判官から独立して過失責任を問われる場合があるとしても、それは、担当調査官が担当裁判官に対し、違法又は不当な目的をもって、原告を補導委託に付するのが相当であり、その補導委託先としては、被告乙野の主宰する八街友の会が適当である旨の調査報告、意見具申をなし、かつ、その後も八街友の会において補導委託を継続するのが相当である旨の中間報告をするなど、担当調査官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別の事情のあるときに限られるというべきであるところ、本件においてかかる特別事情はない。

(2) 補導委託決定は、家庭裁判所裁判官が行う純然たる司法作用、裁判行為そのものである。そして、いかなる少年を補導委託の対象とするか、どの委託先にどの程度の期間委託するか、補導委託中受託者との連絡調整をどのような方法で行うか等については、すべて裁判官の広範な裁量に委ねられているのであり、補導委託決定に対しては不服申立の方法も規定されていない。

したがって、裁判官がした争訟の裁判に瑕疵が存在した場合において、国の損害賠償責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認められるような特別の事情があることを必要とするとの法理は、家庭裁判所裁判官が少年事件においてする補導委託決定及びその実施の過程に、より一層当てはまるというべきである。本件において、右特別の事情は存在しない。

5 同5の事実のうち、原告が頭部硬膜下血腫により、平成元年一月八日から八月中旬ころまで入院生活を続けたことは認め、その余は不知ないし争う。

(被告乙野)

1 請求原因1(一)(二)の各事実は認める。

2 同2(一)の事実のうち、原告が九人部屋の少年らと日頃折り合いが悪かったこと、丙川が鍵をかけたことは否認し、その余は認める。

同(二)の事実のうち、A、I、K、W、Uが原告に殴打等の暴行を加えたことは認め、その余は知らない。

同(三)の事実のうち、丙川が少年部屋の少年を呼びに行ったこと、少年らが甲野は寝ているなどと答えたことは認め、その余は不知もしくは否認する。

同(四)の事実のうち、IやHが原告に殴打等の暴行を加えたことは認め、その余は知らない。

同(五)の事実のうち、原告に暴行を加えた少年らが千葉地方検察庁に送検されたことは認め、その余は知らない。

3(一) 同3(一)の事実は争う。

(二) 同(二)の事実は否認する。

被告乙野は、八街友の会の中心として、常時事務室に詰めており、補導業務が円滑・平穏に行われるよう気を配るとともに、見回り、食事の際に側にいるなど、少年らと接触して少年らの気持、交友関係、生活状況等を知ろうと努力していた。八街友の会の他の職員も同様である。もっとも、補導委託は補導を行う施設であって、少年院のような矯正施設ではないため、「収容者」に対するような「監視」を行うようなことはしないが、居住している少年間のリンチ、喧嘩、喫煙等、非行そのものとか、非行を発生させる素地となる生活の乱れがおきないようにすることについては、少年たちの自由を過度に制限することがないようにしつつ、職員全員が十分な注意を払っていた。

(三)(1) 同(三)(1)の事実は争う。

原告が一部の少年と折り合いが良くなかったということはあったかもしれないが、九人部屋の少年らと折り合いが悪かったということはなく、本件暴行事件発生の前ころ、その発生を予測させるような特別な状況は何も認められなかった。

少年部屋の少年と九人部屋の少年が通常一緒になることはないが、作業中や保護者との面会時に職員がいる場所では時々一緒になることがあった。本件暴行事件発生当日は蝶番の修理という特別の事情からごく短時間(結果として約三〇分位)一緒にさせる必要が生じたのであり、また、少年部屋の少年らと九人部屋の少年らが争い等を起こすことを予想させるような状況は別段認められなかった上、九人部屋と長男太が修理作業をしていた少年部屋や被告乙野と丙川がいた事務室との距離は非常に近く、被告乙野らの目がよく届く状態にあったことから、少年部屋の少年らと九人部屋の少年らとを一緒にすることにしたのである。

(2) 同(2)の事実は争う。

午後八時三〇分の消灯時、施設内の少年らは、いつものとおり全員布団の中に入っていた。また、午後一一時ころ、被告乙野が定例の見回りをした際も、全員就寝の状態にあった。

(3) 同(3)の事実は争う。

蝶番の修理が三〇分くらいで終わったので、すぐに丙川が九人部屋に行き、少年らに対し、少年部屋の少年らは部屋に戻るように指示した。その際、原告は寝ており、別段おかしい様子は見られず、そこに居合わせた他の少年らも「甲野は寝ている。」「俺たちが連れていく。」というので、丙川は不信に思わずに、少年らが原告を連れて帰るのに任せたのである。なお、少年部屋の少年らが部屋に戻った後、丙川が少年部屋の入り口に施錠した事実はない。

午後八時三〇分の消灯までの間に原告は事務室に出てきて、居合わせた太と花子に対し、「風邪薬がほしい。」とだけいった。原告は数日前から風邪をひいたといって仕事を休んでいたのであるが、そのときの原告は特に具合が悪いように見えなかったので、太が原告に風邪薬を与えただけで帰した。

このように、原告が九人部屋から少年部屋に戻った時から当日の就寝までの間、他の少年らから暴行を受けて受傷したことを気付かせるような様子は全くなく、また、原告自身、被告乙野らに他の少年らにより暴行を受けたことを告げたことが全くないばかりでなく、そのことを素振りで訴えることもなかった。

(四)(1) 本件暴行事件発生当時、原告は八街友の会に入会してから二カ月以上経過しており、新入少年ではなかった。その原告が他の少年らにより本件暴行を受けたのは、八街友の会においてリンチ、暴行が日常的に存在していたからではなく、共同生活におけるルールを遵守せず、他人の迷惑を省みずに行動し、嘘を付くなど、原告自身の性格・行動に起因するものと考えられる。本件暴行事件はこのような原告の性格、行動が他の少年らの感情を強く刺激したことにより発生した偶発的事故であり被告乙野に予見可能性がなかったものである。

補導委託においては、リンチや暴行をしたことが明らかになれば、当該少年は直ちに補導委託を取り消されて重い処分を受けることになるのであり、しかも、被害を受けた少年は、容易に相談もしくは申告をすることが可能である。しかるに、原告が本件において他の少年らより暴行を受けながら、そのことを直ちに被告乙野に申告しなかったのは、一つには、監督者には反抗的な態度を取りがちな原告の性格のためと考えられるとともに、もう一つには、原告は他の少年らに恐喝を行ったりする反面として、他の少年らから暴行を受けても弱音を吐かないで強がるという打たれ強い面を有するからと考えられ、このような原告の性格、行動に起因して原告に対する傷害が発生し、より重度の傷害になったものであるから、原告は本件受傷につき重大な過失がある。

(2) 請求原因3についての被告国の認否(二)を援用する。

(3) 仮に本件暴行事件の発生につき、被告乙野に過失が認められるとしても、被告乙野は、少年の補導という公務を委託されたものとして、国家賠償法第一条一項の「公務員」に該当するものと解されるところ、公務員がその職務を行うについて故意または過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、公務員個人はその責を負わない。

4(一) 同5の事実のうち、原告が平成元年一月八日に成田赤十字病院に入院したことは認め、その余は不知ないし争う。

(二)(1) 原告は、幼少時頭部を強打し、頭骸骨陥没骨折により手術を受けたことがあり、以後、言語障害や記憶力の減退を生じており、本件暴行事件発生当時にも右部分にプラスチック板が埋め込まれていた。また、生まれつき心臓肥大であった。

このように、原告は、本件暴行事件発生前に重大な疾患を有しており、原告に対する本件加害行為と右疾患が共に原因となって原告の障害が発生したと認められるから、損害賠償の額を定めるにあたっては、民法七二二条の規定を類推適用して、被害者の疾患を斟酌すべきである。

(2) また、本件受傷後には、原告は、平成元年一月八日から成田赤十字病院に入院し、治療を受けていたが、同年七月ころに車椅子で院内を移動して、他の入院患者から現金等を盗んだことがあり、看護婦等が注意をしても聞かず、その他、病室内で禁じられているのに喫煙する等、他の患者の迷惑となるような行為を度々行ったため、病院側では管理上やむをえず当初の退院予定時期(早くても同年九月中旬以降)を繰り上げて、同年八月一二日に原告を退院させたものである。右のとおり、原告は、十分な治療を受けられる可能性があったのに、自らその機会を放棄して治療を怠ったものであり、そのような態度が原告の傷の治療に大きな障害となったことは明らかである。

(3) 原告は、平成五年六月に交通事故に遇い、同年一〇月まで通院した。したがって、右受傷も損害賠償の額を定めるにあたって斟酌すべきである。

(4) 原告は、中学時代から非行を重ね、保護観察に付された後、窃盗や恐喝の罪で少年院送致されたりしており、稼働していたのは、昭和六二年一二月から昭和六三年六月まで、母親の勤め先で働いた時のみである。

本件暴行事件後も、恐喝事件を起こして医療少年院に送致され、その後も恐喝行為を繰り返し、現在服役中である。

このように、原告は、体力があるにもかかわらず、素行は極めて悪く、勤労意欲は皆無であり、就労実績も皆無に等しい。

したがって、逸失利益は全くないというべきであり、また、以上の諸事情及び本件に現れた一切の事情を考慮すると、慰謝料も認められるべきではない。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一1  請求原因1(当事者等)のうち、同(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  同(二)につき、次の事実が認められる。

(一)  設立等

八街友の会は、昭和三九年被告乙野により設立され、本件暴行事件発生当時、千葉家庭裁判所、浦和家庭裁判所等八裁判所から試験観察に付された少年の補導委託を受けていた。(争いのない事実)

(二)  指導内容等

八街友の会における指導の内容は、少年の性格、行動の観察等の外、施設外の援助協力者である事業経営者のところに少年らを就労させることであり、具体的には、①少年らが正常な生活ができるようにすること、②少年らに勤労の習慣を身につけさせるため、被告乙野が経営する「丸友設計」、保護観察所の協力雇主等のところで作業させること、③カウンセリング及び親子の調整、④読書させたり、シンナー、覚醒剤等のスライドを見せたりして、感想文を書かせること、⑤日記、回顧録等を書かせること、⑥衣料等日用品の支給、退院時の付添い、⑦補導委託終了後の(住込)就職先を探すこと等を通じて、少年の性格、行動を観察し、右観察結果等につき、家庭裁判所の担当調査官及び裁判官に報告を行い、また、必要に応じて調査官及び裁判官の指示を受け、さらに審判の席に立ち会うこと等であった。

少年らの委託期間は平均三、四カ月程度であり、受託後一、二週間すると作業に出ることになり、作業に出ると、当時、日給一〇〇〇円から三〇〇〇円程度の報酬が支払われていた。

少年らの日課は、概ね午前六時に起床して、朝食を取り、作業に出る少年は、午前八時から夕方五時ころまで作業に従事し、作業に出ない少年は、少年居室でテレビを見たりマンガを読んだり日課の日記を書いたりする等して過ごし、午後六時ころ夕食をとり、その後は、入浴し、あるいは、日記、感想文を書くといった日課を終え、午後八時三〇分ころに就寝することになっていた。<証拠略>

(三)  職員

本件暴行事件発生当時、補導委託の業務に常時従事していたのは、被告乙野、妻花子、長男太、山田真、丙川であった。

被告乙野は、土地家屋調査士、建築設計の業務に従事するかたわら、古くから更生保護事業に関わり、昭和三九年から八街友の会の責任者として補導委託業務に携わり、これを統括してきた。

太は、主に少年らの作業を担当し、少年らをどの職場に配属するかを、少年らの適性や希望、仕事の内容等を考慮して決定し、自らも、土木技師として、数人の少年らを、ガードレール、フェンスの取り付け、足場などの架設資材の掃除等の作業に連れて行っていた。

元家庭裁判所調査官である山田は、少年の生活指導及びカウンセリング、保護者との面接及び指導、裁判所宛の補導成績報告書の作成等を担当し、月に一度、あるいは最終処分に向けて家庭裁判所に提出する観察報告書を作成し、問題があれば、被告乙野や少年の相談に乗り、月に一度行われる少年と調査官との面接に立ち会うことなどを担当していた。

花子は、食事の支度、日用品一切の支給、修理等の世話、被告乙野の補助を行っており、お手伝いである丙川は、昭和五九年ころ刑務所を出所した際、保護司である被告乙野に引取られた者で、本件暴行事件発生当時は、花子の補助者として少年らの日常的な世話をしていたが、知的能力がやや劣っていた。<証拠略>

(四)  施設の構造

八街友の会の建物の構造は、別紙図面のとおりであり、右図面の少年部屋(四人部屋、六人部屋、八人部屋及び一二畳の中央ホールから構成されている。)及び九人部屋(八畳に三段ベッド三台が設置されている。)で補導委託された少年らが起居していた。このうち、家庭裁判所に対し少年居室として登録してあるのは、少年部屋だけであり、九人部屋は予備室として利用され、少年を九人部屋に移動させるときは、事前・事後に担当調査官に報告して許可をうけるという運用がなされていた。

通常、九人部屋も少年部屋も、その出入口は、必要な時を除き施錠されていることが多く、九人部屋の窓は、外通路と接していることからプラスチック板と金網により開閉できない状態になっていた。<証拠略>

(五)  収容者

八街友の会は、男子のみ一八名を定員とする施設であり、本件暴行事件発生当時は、次の一七名に原告を加えた一八名の少年が起居を共にしていた。そのうち⑦Sを除く一七名が各掲記の家庭裁判所から補導委託を受けた少年であり、①Aから⑦Sまでの七名は九人部屋で、原告を含む残りの一一名が少年部屋で起居していた。

①A(一九歳、横浜家庭裁判所)

②U(一九歳、横浜家庭裁判所)

③B(一七歳、横浜家庭裁判所小田原支部)

④K(一七歳、前橋家庭裁判所高崎支部)

⑤M(一八歳、千葉家庭裁判所)

⑥O(一七歳、横浜家庭裁判所)

⑦S

⑧C(一九歳、浦和家庭裁判所)

⑨N(一五歳、浦和家庭裁判所)

⑩R(一九歳、千葉家庭裁判所松戸支部)

⑪Y(一七歳、横浜家庭裁判所小田原支部)

⑫I(一七歳、千葉家庭裁判所松戸支部)

⑬W(一八歳、横浜家庭裁判所)

⑭D(一七歳、千葉家庭裁判所)

⑮T(一八歳、千葉家庭裁判所)

⑯H(一六歳、横浜家庭裁判所)

⑰E(一七歳、浦和家庭裁判所)

両方の部屋の部屋割りは、被告乙野が決定していたが、主として少年部屋においていじめ、暴行事件などの問題を起こしたものを九人部屋に移すという扱いが多かった。また、少年部屋の少年と九人部屋の少年とは、日頃、食事や作業の時に一緒になることがある外はあまり顔を合わせることがなかった。<証拠略>

二  証拠によれば、請求原因2(本件暴行事件)につき、次の事実が認められる。

1  八街友の会では、昭和六四年一月七日、昭和天皇崩御のため職業補導として仕事に出ていた少年らがいつもより早く仕事から帰されていた。同日午後四時ころ、少年部屋の便所の戸の蝶番を修理するため、少年部屋にいた原告、I、Wら八名の少年(前記⑮T、⑯H、⑰Eを除く。)がお手伝いの丙川の誘導で九人部屋に連れてこられ、九人部屋にいた六名(前記⑥Oを除く。)と一緒にされた。丙川は、少年部屋の少年らを九人部屋に入れると、出入口に外から鍵をかけてその場を立ち去った。<証拠略>

2  少年らは、てんでにテレビを見たりしていたが、しばらくして、以前原告に対して行った暴行の件を原告が被告乙野に密告し、そのために九人部屋に移されたものと考えていた九人部屋のK、Uが「お前、会長に何チクったんだ。」などと因縁をつけて手拳で原告の顔面を殴打し始め、続いて、入所当時、原告にイジメを受けたため仕返しの機会を窺っていた少年部屋のI、Wらも、これに加わって手拳で原告の頭部、顔面等を数回殴打した。さらに、それまで原告から「アンリ」「アンドロメダ」などと呼ばれたことに立腹していた九人部屋のAにおいてもこれを仕返しのチャンスと考え、原告を手拳で数回殴打した。

そのうち、Iが原告に「ゴクテン(頸動脈を押さえて失神させること)をやらせろ。」と迫り、やむをえず同意した原告に対し、IとWが協力してゴクテンをかけて原告を一時失神させた。また、興奮したAは、ベルトのバックルの金具やプラスチック製のコップで原告を一〇数回殴打し、周囲の少年らは、逃げまわる原告を足で蹴飛ばして部屋の中央に押しやり、Aの暴行を続けさせた。

さらに、Aは、ベッドの近くに横たわった原告に対し、パラシュートと称して、三段ベッドの最上段から飛び下りざまに蹴りを入れ、そのため、原告は再度失神した。Aはなおも失神して横たわっている原告の頭部を踏みつけるように蹴飛ばし始めた。ここに至って、周囲の少年がAを押さえ付け、その暴行を止めさせたため、原告に対する少年らの一回目の暴行がようやく終わった。

少年らの暴行は、この間約三〇分にわたって行われたが、八街友の会の職員でこれに気付いた者は誰もいなかった。<証拠略>

3  同日午後四時三〇分ころ、蝶番の修理が終わったため、丙川は、九人部屋に赴き、少年部屋の少年に自室に帰るよう声をかけ、その際、原告が横になっているのを確認したが、少年らが「甲野が寝ちゃった。」「俺たちが連れていく。」などと述べたため、少年らをして、フラフラと立ち上がった原告を少年部屋に運ばせた。しかし、丙川は、それ以上特に原告の様子に注意を払おうとはしなかった。

原告は、しばらく少年部屋のベッドで横になっていたが、食事時間には一人で起き上がり食堂で食事を取ったものの、すぐに少年部屋に戻り、またベッドで寝込んでしまった。その後、原告は一度起き上がり、太に風邪薬を貰いに行った。<証拠略>

4  ところが、消灯後の同日午後九時ころ、今度は少年部屋の先輩格で一回目の暴行の際にその場にいなかったHが、原告を少年部屋の六人部屋に呼び出し、同所に正座させた上、「何でAにやられた時やりかえさなかったんだ。いくじがねえな。」などと詰問し始め、返答しなかった原告に対し、H、W、Iらが、その背中や太ももを数回殴りつけ、さらに、IとWが協力して二回にわたり原告にゴクテンをかけ失神させた。また、Hは、ベッドの脇に原告を四つん這いにさせ、その背中の上に乗り、ベッドのワクをつかんで、トランポリンと称して何度も飛び跳ねる暴行を加えた。

その後、原告は、吐き気を催しフラフラの状態となったため自室のベッドに帰され、これによりようやく二回目の暴行が終了したが、その間三〇分以上にわたり右暴行が加えられた。そして、この時の暴行についても、八街友の会の職員で気付いた者は誰もいなかった。<証拠略>

5  原告は、その後、ベッドでうめき声をあげ、さらに、異様ないびきをかくようになり、少年らが声をかけても何の反応も示さない状態となったが、少年らは、明日になれば治るなどと勝手に判断し、被告乙野らに右事実を告げようとはしなかった。

そして、翌八日早朝に至り、ようやく原告の右異常が被告乙野に知らされたため、原告は、救急車で病院に運ばれるに至り、その結果、本件暴行事件が発覚した。

なお、暴行に加わった右少年らは、後日、本件暴行・傷害事件により千葉地方検察庁に送検された。

<証拠略>中、少年部屋の少年らを九人部屋に入れた際に、丙川は、同部屋の鍵をかけていなかったとの供述部分は、<証拠略>に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで、請求原因3(被告乙野の責任原因)につき判断する。

1  受託者の地位

(一)  補導委託の法的性質

少年法は、家庭裁判所は、保護処分を決定するために必要があると認めるとき、相当の期間少年を家庭裁判所調査官の観察に付し、あわせて、適当な団体、個人に少年の補導を委託することができると定めている(同法二五条一項、二項三号)。

補導委託の制度目的は、終局決定を留保し、少年に心理的強制を与えつつ、最終的な処遇の参考にするため一定期間調査官を主体に少年を観察することにあり、特にその間、専門家ではない民間のボランティアに現実の補導を委託したうえで、少年の動向を観察し、その経過及び結果に基づいて、家庭裁判所が終局的決定を行うという点を特色としており、その中には、在宅のまま補導を委託する場合と、少年の身柄とともに受託者に補導を委託する身柄付補導委託の場合(以下、この場合を「補導委託」という。)とがある。

補導委託の法的性質については、諸説のあるところであるが、それが少年事件を担当した家庭裁判所裁判官による司法作用としての決定の形で行われることに鑑み、裁判行為の性質を有するものと解するのが相当である。

(二)  補導委託の運営

補導委託については、その制度の適正かつ効果的な運営を図るために、最高裁判所家庭局長依命通達(昭和五五年七月一〇日付、改正昭和六一年一二月一日家二第三六〇号家庭裁判所長宛)が出されており、そこにその運営要領が定められている(裁判所に顕著な事実)。

それによると、家庭裁判所は、少年の補導を委託すべき施設、団体又は個人の開発及び育成に努めるとともに、①補導委託先の適格性の基準の設定、②補導委託先の登録、③補導委託先に対する一般的指導、④補導委託先における事故等に対する措置、⑤共同利用庁間の連絡調整に関して処理態勢の整備を図るべきものとされており(同通達第一、第二)、以下、そのそれぞれについて、必要な注意事項が決められている。

そのうち、①については、補導委託先の責任者につき、人格識見が豊かで、社会的信望を有し、少年の補導について十分な理解、熱意及び能力を有し、円満な家庭を有し、健全な社会生活を営んでおり、家族その他の関係者の理解及び協力が得られること、設備等につき、環境が少年に対し健康上及び風紀上有害な影響を及ぼすものでなく、少年が利用する建物の通風その他保健衛生上適切な配慮がされ、災害時等における安全が確保され、受託者又はその補助者が少年の居室に近接していること等、適格性の基準を設定するにあたり留意すべき旨(第三)、②については、家庭裁判所が、補導委託の決定に資するため、適格性のある補導委託先をあらかじめ登録し、首席家庭裁判所調査官その他の職員に必要な調査を行わせ、その適合性を審査したうえ、登録を行い、既に登録されている補導委託先が適格性を欠くと認めたときは、その登録を取り消すべき旨(第四)、③については、首席家庭裁判所調査官が受託者に対し、一〇項にわたる一般的な遵守事項を守るよう指導すべき旨(第五)、④については、少年が、補導委託先から無断で退去したとき、死亡及び病気又は負傷により手術又は入院を要するとき、受託者、その家族もしくは従業員もしくは第三者に危害を加え、又はこれらの者の財産に損害を与えたとき、少年について補導上重大な事実が発生し、又は少年の補導に支障を生ずる事実が発生したとき等に、家庭裁判所職員は速やかに家庭裁判所に報告しなければならず、家庭裁判所は、右報告を受けたときは首席家庭裁判所調査官等に調査させ、その結果、相当と認めるときは受託者に対する必要な指導を命じ、又は補導委託先の登録を取り消すことができる旨(第六)、⑤については、複数の家庭裁判所が同一の補導委託先を登録しているときの、その運営についての情報交換、緊密な連携を保ち、適正かつ円滑な共同利用が可能となるよう配慮すべき旨(第七)、それぞれ定められており、各家庭裁判所は、右通達に従ってその運営を行っている。

(三)  そこで、次に補導委託における受託者の一般的注意義務について検討する。

前記のとおり補導委託の決定は、直接的には少年に対してなされるものであり、また、右通達に掲げられた受託者の適格性の基準等も、直接には各家庭裁判所長宛に出されたものであって、法構造上受託者を直接拘束するものではないと解される。しかし、自主的に受託者となることを志望し<証拠略>、適格性を備えた受託者として家庭裁判所に登録され、それに基づき当該家庭裁判所から少年の委託を受けた受託者は、少年法の意図する補導委託の前記制度目的に照らし、その趣旨を生かした環境整備を行い、かつ、委託された少年を適切に補導すべき義務があるというべきであり、このことは、自己の支配下にある施設内において、物理的強制力を伴わないとはいえ、少年らに対する関係で、背後に終局処分を控えた心理的強制を加えうる立場にある受託者としては、いわば当然の義務といえる。そして、右環境整備の中には、施設における食、住環境を整え、これを清潔に保ち、少年らを疾病等から守るべく配慮するなどの物的環境の整備のほか、社会的、人的関係から生ずるトラブル等を未然に防止すべく配慮するなどの人的環境の整備が含まれるのであり、特に同時に複数の少年の補導を受託する場合には、それぞれが問題を抱えた少年であることに鑑み、各少年の個性、資質の相違等から複雑な人間関係やあつれきが生ずることが容易に予測されるのであるから、受託者としては、常に各少年の動向に注意し、少年間にいじめや暴力事件等が起こらないよう注意し、各少年の身体の安全を図るべく可能な範囲で最大限注意を払うべき義務を負うものと解される。もっとも、補導委託の受託者は民間のボランティアであって、受託者の身柄拘束権限は存せず、あくまで少年の自立性、自発性を尊重することが基本とされていることを考慮すると、少年院等の専門施設における職員等との比較において、右注意義務の程度に限界の存在することは否定できない。その意味で、普段の日常生活の中で要求される程度の注意を払っても予測しえないような突発的暴行事故の発生をも防止すべき義務を負うものではない。

2  被告乙野の過失

そこで、以下、被告乙野に右の意味での注意義務違反があるか否かを検討する。

(一)  少年らの生活実態と管理の実情

八街友の会における少年らの日課、職員らによる管理体制及び指導内容等は前認定のとおりであるが、一面において少年らの日常の生活実態は次のような様相を呈していた。すなわち、同会では、少年らの間において入所の前後で上下関係が存在しており、新入者の中には、先に入会した少年から消灯後に集団でリンチを受けるということが少なくなく、また、先に入会した少年が喧嘩に弱いとみられると後に仕返しを受けるなど、指導者らの目を盗んで、かなりの頻度で暴力事件が生じていた。そのため、少年らの間においては、前記の「ゴクテン」「パラシュート」等の用語が日常的に使用されており、少年らのなかには、在所中にゴクテンを何十回とかけた経験を有する者もいた。しかし、被害を受けた少年らは、これを被告乙野に伝えたりすると、「チクリ」として後日さらにそれを理由に暴行を受けることがあるため、右のような実態を積極的に被告乙野らに申告することがなく、そのため、被告乙野らにおいて、その正確な実態を把握することはできないでいた。

それでも、被告乙野らにおいて、少年間で喧嘩等の暴力事件が生じたことを把握した場合には、直ちに少年に口頭で注意するとともに少年部屋から九人部屋の部屋替えし、また、被告乙野が就寝する場所を少年らの居室の隣の部屋に移し(通常は、被告乙野と花子は別紙図面中央の十畳居間に、太は北西の六畳居間に、丙川は廊下を隔てたその隣の子供部屋六畳で就寝していた。)、さらに、消灯後の夜間の見回りをするなどして、その後の少年らの動静に注意を払うなどの対応をとっていた。なお、右の事実は、その都度被告乙野から山田に報告され、山田から家庭裁判所の担当調査官に報告がなされていた。

しかし、それにもかかわらず、前記の理由から、被告乙野らに発覚した暴力事件は、結果的には実際に発生したリンチや暴行事件のごく一部にすぎなかった。<証拠略>

(二)  原告の性格等

原告は、窃盗保護事件等により昭和六三年一〇月二六日に八街友の会に委託された者であるが、入会の当初から態度が大きく、威張りたがるところがあり、また、むやみに他の少年に暴力を振ったりしていたため、他のほとんどの少年らから快く思われておらず、特に、昭和六三年一二月ころには、K、Uが少年部屋から九人部屋に移されたのは原告が被告乙野に原告への暴力を密告したことが原因であると思われていたことから、少年らのうち数人が、Uを少年部屋に戻してもらうようにしろなどと述べて、原告を責め、折りにふれ、原告に殴る蹴るなどの暴力を振るっていた。しかし、原告は、そのことを被告乙野らに申告せずにいた。<証拠略>

(三)  本件暴行事件発生当日の被告乙野らの行動

本件暴行事件当日、第一回目の暴行が行われていた間、丙川は、別紙図面中央の一〇畳居間でテレビを見ており、被告乙野と太は少年部屋の蝶番を修理していたため、右暴行にはまったく気付かなかった。その後右修理が終わって、丙川が九人部屋にその旨を告げに行った際、同人は、原告が横たわっていた姿を現認したものの、他の少年らの「甲野が寝ちゃった。」等の発言に格別疑問を抱くこともなく、そのまま、原告の扱いを少年らに委ね、その旨を被告乙野や太に告げることもしなかった。

被告乙野らとしては、夕食時、原告が多少具合が悪そうにしていたことには気付いていたが、他の少年らの暴行によるものとは考えず、その後、就寝前に原告が太の所に風邪薬を貰いに来た以外は、いつもの夜と異なることなく、翌朝まで、原告の身体に生じた異常にも第二回目の暴行にも気付かなかった。(被告乙野又は太が本件暴行事件当日夜、少年部屋の見回りをしたことを認めるに足りる的確な証拠はない。)なお、被告乙野及び太においては、基本的に試験観察中の少年はその期間中に暴力行為等の事故を起こすと終局処分で不利な処分がなされるであろうことを十分承知しており、そのため、あまり事故を起こすことはないという認識を有していた。<証拠略>

(四)  被告乙野の具体的過失の有無

(1) 前記(一)で認定したとおり、八街友の会では、少なくとも本件暴行事件発生当時、少年らの間でリンチや暴行事件がいわば常態化していたものと認められるところ、その実態を被告乙野らにおいてはほとんど把握していなかったということができる。八街友の会において、右のような状態がいつ頃から生じていたかは、本件全証拠をもってしても確定することはできないが、少年らの各供述(調書)を総合すれば、たまたま本件暴行事件発生当時もしくはその直前頃から始まったというものではなく、それより相当以前から委託の対象となった少年らの間に受け継がれる形で続いていたものと推認することができる。

しかして、補導委託中の少年らは、それぞれが問題を抱えた少年であり、それらの少年を同時に複数預かり、二四時間生活を共にする以上、その間には様々なあつれきが生ずることは十分予測されるところであるから、それらの少年らの動静には常に十分に注意を払い、その間にリンチ、暴行事件等が発生しないように注意すべき義務があることは前記のとおりである。しかるに、被告乙野らにおいては、事故を起こせば後に不利益になるため自ら進んで事件を引き起こす少年はあまりいないであろうとの安易な認識の下(実際に表面に現れた事件は少なかった。)、かなりルーズな管理を続け、そのために少年らの生活実態を正確に把握することができなかったのであり、このことが、本件暴行事件を誘発、助長した根本の原因となったものと断ぜざるをえない。

(2) そして、被告乙野らの右のような安易ともいえる態度は、本件暴行事件発生当日の行動、すなわち、九人部屋には少年部屋で問題行動を起こした少年らが入れられていたのに、その点を何ら顧慮することなく同室させたこと、しかも、その狭い九人部屋に一四人もの少年を一緒にさせたうえ鍵をかけて放置したこと、その後同部屋内での少年らの動静に職員の誰一人として注意を向けようとしなかったことなどの行動について具体的に現れているのであり、これらの対応が本件第一回目の暴行事件を引き起こした直接的な原因をなしたものと認められ、加えて、丙川が原告の容体が通常でなかったのを認識していたにもかかわらず、何らの対応をとらなかったこと(丙川は被告乙野の履行補助者と認められる。)、丙川がこの点に関して適切な対応をとっていれば、第二回目の暴行事件の発生を防止することが可能であったと認められることからすれば、本件暴行事件発生当日におけるこれら具体的な注意義務違反も、すべて前記被告乙野の安易な認識に由来するものということができ、その意味で、被告乙野には本件二回の暴行事件を誘発し、助長した過失が存在するものと認めざるをえない。

なお、原告においては、前記経緯から明らかなように、本件第一回目の暴行を受けた後、被告乙野らに申告しようと思えば申告する機会は十分に存在したと思われるのにこれをしていないが、前記のとおり原告がこれを被告乙野らに伝えたりすれば、「チクリ」として後日さらにそれを理由に暴行を受ける可能性が高かったのであるから、右申告を怠った原告の不作為を非難することはできないというべきである。

また、原告の受傷は責任能力ある少年らの故意による暴行によるものであるが、そのことのために被告乙野の過失と原告の受傷との間の相当因果関係が認められなくなるものではない。

さらに、本件の場合原告の前記のような性格や行動が、他の少年らによる本件暴行を招いた一つの原因を成しているという面も認められなくはないが、それは遠因ともいうべきものであり、被告乙野の過失との関係でこれを重視するのは相当ではない。

四  次に請求原因4(被告国の責任原因)につき検討する。

1  調査官及び裁判官の過失

原告は、原告を担当した調査官及び裁判官につき、補導委託先として八街友の会を選定したこと又はその後試験観察の変更などをしなかったこともしくは同会の管理運営上、適切な指導を怠った点に過失があると主張するので、以下、考察する。

(一)  被告国は、調査官の責任について、一般論として調査官の調査や執務のあり方が裁判官から独立してその責任を問われることはありえない旨主張する。確かに試験観察の決定、補導委託先の選定やその取消、変更は、最終的に裁判官の判断と責任において行われるものであるから、その判断それ自体について調査官の責任が問題とされることはありえないといえる。しかしながら、国家賠償法上は、公務員がその職務を行うにつき故意又は過失があればそれだけで帰責事由となりうるのであり、調査官の執務行為に関して右要件が満たされる限り、それが裁判官の判断に反映する形で被害者の損害を招来させた場合であるからといって、調査官の執務行為自体について国家賠償法上の責任が一切問われないと解すべき理由はない。

(二)  ところで、本件暴行事件発生当時、八街友の会における受託者側の管理態勢に改善されるべき問題があったことは前記のとおりである。

したがって、原告の担当調査官や担当裁判官が、補導委託先を定めるに当たり、あるいは八街友の会の試験観察中に、右のような実態を知りえたような具体的な事情が存在したのにこれを過失により見逃したというような場合には、その注意義務違反の点が問題となることがありうるものと考えられる(もっとも、裁判官の過失による職務行為につき国家賠償責任が生ずるか否かは一個の問題であるが、後記の理由によりここでは論じない。)。

しかしながら、その点を検討するためには、その前提として、本件担当調査官や担当裁判官が、いかなる資料を基にどのような判断から原告の補導委託先として八街友の会を選定したのか、その際、八街友の会の性質、実態をどのようなものとして把握していたのか、その把握に誤りがあったのか否か、誤りが仮にあったとしてそれは相当の注意をもってすれば回避できる性質のものであったのか又は試験観察中に右のような実態を把握できる可能性があったのか否か等々につき、個別的、具体的な事実関係の中で確定しなければならないところ、本件においては、これらの点を確定するに足りる具体的主張、立証は一切存在しない。

家庭裁判所としては、通常、補導委託先の実情を責任者ないしはその履行補助者からの通知、連絡を通じて把握することが多いものと解されるところ、本件において、被告乙野自身が実態を正確に把握できていなかったことは先にみたとおりであるから、原告の担当調査官や担当裁判官が被告乙野を通じてその実情を把握できたものとは認めがたく(被告乙野本人尋問の結果によれば、試験観察中、担当調査官は一ヵ月に一回程度少年に面会のために施設を訪問しており、その際に施設自体も検分していたことが認められるが、前記のような少年らの生活実態を把握できた可能性は少ない。)、他にこれを把握する的確な方法があったと認めるに足りる証拠はない。

してみれば、本件資料のみから、担当調査官や担当裁判官の過失の存在を肯認することは困難であり、したがって、その存在を前提とする被告国の責任は認めがたいというべきである。

2  補導委託受託者の過失と国家賠償法適用の有無

そこで、原告の予備的主張につき検討するに、被告乙野に補導委託の受託者として過失が認められることは前示のとおりである。

ところで、補導委託における受託者は、民間人であり、また、委託された少年に対し法的な拘束権を有するものではないが、補導委託は、健全な少年の保護育成という国家目的達成のために家庭裁判所が行う少年保護手続の中に民間人の活動を組み込んだ制度であって、委託を受けた少年は、家庭裁判所の終局処分としての公権力の発動を背景に、事実上相当程度の心理的強制を加えられており、受託者の下を自由に離れることができない状態に置かれているのであるから、補導委託中の少年に対する受託者の補導行為は、国家賠償法上は「公権力の行使」に該当するものと解すべきである。

また、同法一条にいう「公務員」とは、組織法上の公務員に限らず、実質的に国又は地方公共団体のために公権力の行使たる公務の執行に携わる者を広く指すものと解すべきところ、補導委託における補導行為の右のような性質に鑑みれば、その受託者は、補導行為に関する限り、同法条の公務員というを妨げないものと解される。

しかして、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて他人に与えた損害については、国がその被害者に対して賠償の責任を任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないものと解すべきである。したがって、本件においても、被告乙野の過失の基づく損害賠償責任は、国のみが負うべきものであり、被告乙野は個人として損害賠償責任を負わないものと解するのが相当である。

五  そこで請求原因5(損害)につき判断する。

1  <証拠略>によれば、請求原因5(一)の事実のほか、原告は平成四年一一月二日に川口工業総合病院においてアキレス腱延長手術を受け、同年一二月三日まで同病院に入院したこと、済生会川口総合病院の診断によると、原告には平成六年五月の時点で言語障害、歩行障害、視力障害、左肩関節運動制限、下肢腱反射亢進の症状が残っていることが認められる。

2  損害額

(一)  治療費等

(1) <証拠略>によれば、原告は、前記成田赤十字病院での治療費として五四四〇円、済生会川口総合病院での治療費として一八万二八四〇円を要したことが認められる。そして、右金額以上の治療費を要したことを認めるに足りる証拠はない。

(2) <証拠略>によれば、原告は、リハビリシューズ及びT字杖代金として一万〇六〇〇円を要したことが認められる。

(3) <証拠略>によれば、原告は、済生会川口総合病院への通院費用として、領収書が存在するものだけでも三四万三三二〇円をタクシー代として支払っていること、原告は、この他にも同病院に複数回タクシーで通院していることが認められるから、原告は、通院費用として少なくとも三四万四四三〇円を要したものと認められる。

(4) 原告が「治療費等」として請求する損害項目のうち「④その余の費用」については、これを認めるに足りる証拠がない。

(5) 以上によれば、原告が要した治療費等の合計は五四万三三一〇円であると認められる。

(二)  将来の介護費用

本件暴行事件により、原告に相当程度の後遺障害が残ったことは前記認定のとおりである。原告は、右障害の程度は終生介護を要する状態であると主張するのであるが、原告は本件暴行事件後平成元年一一月に帰宅してからは、日中は勤めに出ている父母のいないまま独りで自宅で過ごしており、平成四年六月には原告の母親が勤めていたフジキュウに就職し軽作業にも従事していたこと、平成六年ころは、独力で自転車にも乗れたこと、また、平成七年四月二八日現在、松本少年院に在監している原告の生活は、腰掛けに座って、軽作業に従事し、排泄についても和式便器も使用し、衣類の着替えは自ら行い、入浴時には、自ら背中を洗ったりタオルを絞ったりし、歩行は屋外屋内とも自力で行なえる状態であることからすれば、原告の障害の程度は、日常生活において介護を要する状態にあるとは認められない。<証拠略>

よって、将来の介護費用の請求は失当である。

(三)  後遺症逸失利益

本件暴行事件による原告の後遺障害の程度は前記のとおりであるところ、その症状にかんがみれば、原告は、右後遺障害によりその稼働可能期間(症状固定時である一八歳から六七歳まで四九年間)を通じて、その当時有していた労働能力の四割を喪失したものと認めるのが相当である。ところで、原告は、中学校卒業後八街友の会に入会する以前と以後にそれぞれ短期間会社に勤務しただけであり、あとは少年院に在所していた期間が長く、その生活態度は総じて不真面目で、本件暴行事件後においても、医療少年院に入所したほか、恐喝事件を起こして現在は服役中であることが認められ<証拠略>、これらの事実に照らせば、原告の勤労意欲及び勤労能力は、平均的な労働者のそれに若干劣るものといわざるをえず、その意味で、原告の年収額は、平成二年度賃金センサス男子労働者学歴計一八歳の年収額二一七万六五〇〇円の八割に相当する一七四万一二〇〇円と推認するのが相当である(本件暴行事件後、原告に充分な勤労意欲が認められない点は、本件後遺障害の存在に起因している面も窺えるから<証拠略>、そもそも原告にまったく勤労意欲がないとの被告乙野の主張は採用できない。)。

そして、これを基礎として前記労働能力喪失割合を乗じ、新ホフマン方式(係数24.416)による中間利息を控除すると、右期間中の逸失利益の現価は、一七〇〇万五二五五円となる。

なお、原告は、生まれつき心臓肥大であり、四歳時には頭部を強打して頭骸骨陥没骨折により手術を受け、プラスチックの人工骨が埋めこまれており、以後、多少の言語障害や記憶力減退を生じていたことが認められるが<証拠略>、右心臓肥大や頭部手術が前記後遺障害の原因となっていることを認めるに足りる的確な証拠はないし、言語障害はその後矯正され回復しており、学生時代も通常と変わらない生活を送っていたことからすれば<証拠略>、これらの点を後遺症の算定に当たって特に考慮する必要があるとは認めがたい。

また、被告乙野は、逸失利益の算定に当たり、原告の入院中の行動により退院が早められ、そのため治療の機会が充分得られなかったこと及び平成五年六月に遇った交通事故による受傷の影響や原告の労働意欲の欠如につき考慮すべきである旨主張する。確かに、原告には、成田赤十字病院に入院中、数々の問題行動があり、そのため病院側から早期の退院を要請され、退院を早めたことが窺われるが<証拠略>、原告はその後も通院して治療を受けており、そのことのために本件後遺障害の程度に相違が生じたとは認めがたく、また、原告は、平成五年六月に交通事故に遇い、受傷したが、その際の受傷部位は右下肢であると認められるから<証拠略>、本件後遺障害の認定に影響を及ぼすものとは認めがたい。

(四)  慰謝料

(1) 入通院慰謝料

原告の入通院の状況は、前示のとおりであり、これによる慰謝料は二五〇万円と認めるのが相当である。

(2) 原告の前記後遺症により受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、本件に顕れた諸般の事情を勘案し、六〇〇万円と認めるのが相当である。

(五)  以上の合計は、二六〇四万八五六五円となる。

(六)  弁護士費用

本件事案の性質、事件の経緯、認容額に鑑み、被告国に対して賠償を求めうる弁護士費用は二六〇万円が相当である。

(七)  よって、原告の損害額の合計は、二八六四万八五六五円となる。

六  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告国に対し、二八六四万八五六五円及びこれに対する本件暴行事件のあった昭和六四年一月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告国に対するその余の請求及び被告乙野に対する請求は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立てについては必要がないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官前島勝三 裁判官川島貴志郎 裁判官小川理佳)

別紙図面<省略>

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